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2007/06/04 (Mon) 22:36

さて、今回は前回の続きです。
七戸城趾の『北の丸』です。
前回紹介した代官所跡と異なり、どことなく当時の風情を忍ばせるような整備がされています。
日本庭園風の景観の中心に瓦屋根の庵、その横には桜の樹。
撮影した当時は5月の初め(と言っても連休後ですが)だったのですが、他の町内の桜はほぼ散っていたのに対し、この桜は丁度満開でした。

樹の近くで一枚。
どうですか、この見事な桜。
決して大木でもなく名樹でもありませんが、私はこの桜が公園内で一番綺麗だと思っています。
夏でもこの庵の中はひんやりと涼しく、時折家族連れが散歩がてらに休憩したり軽食を摂ったりしています。
この日のように快晴の日は、涼しげな庵の中から周囲の木々が色鮮やかに見え、心に潤いを与えてくれること請け合いです。

北の丸の外郭の一部は簡易展望台になっており、七戸の町並みを望む事が出来ます。
決して綺麗な町並みではありませんが、一望して損はない…と思います。
町民のひいき目なんでしょうけど^^;
お暇な時は、是非柏葉公園にお立ち寄り下さい。
テーマ : 青森のあれこれ - ジャンル : 地域情報
2007/05/25 (Fri) 22:04
前回更新より日が空いてしまいました…誠に申し訳ありませんTT
結婚式やらなにやらで忙しかったモノで。
さて、今回は七戸町民の憩いの場でもある『柏葉公園』をご紹介します。
ちょっと写真が多くて重いかも知れませんが平にご容赦下さい。
※入り口は丁度神明宮の横手です柏葉公園は国指定史跡でもある七戸城趾の中に位置し、丁度二の丸(代官所跡)付近が公園の範囲となっています。
先ず、七戸城趾について説明します。…と言っても私も囓った程度の知識ですが^^;
七戸城は、南部氏が北方の敵・安藤氏の攻撃を遮るための防衛拠点的な性格が強い城だったようです。
自然の要害に立つ平山城で、本丸、二の丸、下館、宝泉館、西館、角館、北館の六郭をもつ大規模なものだったようで、最近の調査で広さは22ヘクタール程度あったのでは無いかとされています。
室町時代初期には七戸南部氏は三戸南部氏・根城南部氏と同様の地位にあったのですが、その後乱が起き、急激に衰退していったようです。
落城後、江戸時代に入ると盛岡藩直轄の代官所が城の本丸〜二の丸辺りに設置されました(本丸〜二の丸の辺りを『代官所跡』と称するのはここからです。城のあった時代と代官所があった時代は違うんですね)。
その後時代を経て跡地は整備されました。
一時は代官所跡と下館に七戸小学校の校舎が分かれる形であったそうですが、現在は七戸小学校も移転し、代官所跡は公園として整備され、下館には町立七戸幼稚園があります。
そして七戸城の別名(愛称?)が『かしわば城』だったので、そこから公園を『柏葉公園』と命名しました。
※二の丸奥から入り口に向けて写真の樹は桜で、花見のシーズンになると町民が樹の下で小宴を催します。
弘前城みたいな桜の名所ではありませんが、風情があって良いものです。
※こんな看板も…公園の外周を走るジョギングコースもあります。
さらに、

二の丸入ってすぐ、丁度神明宮の裏手に「賛学(さんがく)」と書かれた石碑が建っています。
七戸小学校の卒業生が建立したもので、「学にいそしめ、励め」と意訳できる言葉…だと思います。
七戸町がこの柏葉公園を「運動の場所」としてだけではなく、学問を奨励する場所としても認識して欲しいからこそ、この二の丸…七戸小学校跡地に建立したのでしょう。

二の丸の一部は、ごらんの通り広場になっていて、昔はお年寄りが日がな一日ゲートボールに興じていたと記憶しています。
現在はどうなんでしょうか?この日は晴れていたのに全く人影が無かったのが寂しい限りですが…。
しかし春爛漫のこの日、周囲に桜、地面はタンポポの黄色とクローバーの緑のカーペット。
何気ない一コマですが、この日は特に美しさを感じました。本当に美しい!と思います。

そしてメイン公園の丘から、二の丸を見下ろした写真です。
広々とした景観と、時折吹く風がとても心地よい場所です。
写真を撮影した日は夜勤明けだったんですが…このまま居眠りしたくなったくらいです^^;
最近少子化の影響もあってか、中々柏葉公園内で人を見かけることも少なくなりました。
この日もご年配の親子と、幼稚園児くらいの子を持つ親子の2組ほど…。寂しい限りです。
しかしじっくり見れば、とても美しく、素敵な公園であると思います。
親御さんたちにおかれましては、どうか子供さんは地元の自然あふれる公園で遊ばせてあげてください。
写真が多くなってしまったので今回はここまで。
次回はゑでんも大好きな、「北の丸」をご紹介します。
テーマ : 青森のあれこれ - ジャンル : 地域情報
2007/05/07 (Mon) 22:03
※早速ですが今回のベストショットですTT 泣けます。七戸町役場七戸庁舎の丁度裏手、七戸城址公園の手前にが『神明宮(しんめいぐう)』と呼ばれる神社です。
七戸庁舎の南西側にある坂を車でのぼっていくとすぐに「神明宮」と掘られた石が目に付くでしょう。

そびえ立つ松や樅の木をバックに、社がそびえ立ちます。
祭神は天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)。伊弉冉尊(いざなみのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の間に生まれ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と月讀尊(つくよみのみこと)とともに日本神話の三神として、日本全土で信仰されている神様です。
天照大神尊を祭神とする神社のことを「神明宮」「神明神社」と称することが多いので、皆さんの地域にもあるかも知れません。
ちなみに全国にある神明神社の総本社は、かの伊勢神宮です。
さて、この七戸町の神明宮です。
建立は1396年と古く、600年以上の歴史があります。当時は現在の場所(七戸城本丸跡地)ではなく、街なかの新町に建てられました。
さらに託宣により1756年に新町から南町へ、1811年に今度は現在の町役場七戸庁舎辺りへ、そして1877〜1881年の間に現在の地への遷座と相成ったそうです。
古くは藩政の時代から、七戸城界隈の民心の拠り所であったようで、600年経った今でも七戸町民は古来と変わらず「神明様(しんめいさま)」と呼び崇め奉っています。
毎年9月に行われる「七戸秋祭り」は、この神明宮の本祭です。
また大晦日には、年明け前になると多くの町民が初詣の列を成します。その列は境内から鳥居、階段を経て、坂の中腹に位置する七戸幼稚園付近にまで達します。

社を正面に見ると丁度左手に、
『日清日露大東亜戦役英霊之塔』という3つの石碑が建っています。
その名の通り日清戦争、日露戦争、大東亜戦争によって没した祖先の御霊を祀っている忠魂碑です。戦没者の名前らしきものが多く刻印されています。
戦中・戦後に於いても七戸町民は「しんめいさま」へ拠り、「神明宮」も町民を護っていたのだと思うと、思わず手を合わせずにはいられませんでした。
600年の昔から変わらず町民の心の拠り所である神明宮。
これからも変わらず、私たちを御護り下さい。
テーマ : 青森県上北郡七戸町 - ジャンル : 地域情報
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